青空のゆくえ of web magazine fes

青空のゆくえ〈6〉

  小澤 裕史 Ozawa Hirofumi

伝説のサイクリスト
〜サンディエゴにて〜

 グラウンドキャニオンから流れてくるコロラド川を渡り、モハベ砂漠が広がるカリフォルニア州に入る。6ヵ月かけて走ってきた北米も、この州が最後。地平線から地平線を目指して走り、アメリカ大陸だけで日本の国土の25倍という広さを身体で感じてきた。田舎を中心に走ってきたからかもしれないが、行く先々で出会った親切な方々には、感謝を通り越して驚きを感じるほどだった。一人のようで一人ではない。これが一人旅の魅力であり、醍醐味なのだ。

 これまでの思い出に耽りながら、夕暮れに染まるモルベ砂漠の丘を駆け上がり、寝床を見つけてテントを立てると、遠くの丘から満月が顔を出してきて、砂漠を刻一刻と青白く照らしていく。「人生って本当に美しい」。そう思える瞬間が多ければ多いほど、人は幸せになれる気がする。

 砂漠を越えてゴール地点のサンディエゴに向かうにつれて、カリフォルニアワインの原料になるであろう広大な葡萄畑が広がり,人の匂いがするようになってくる。アメリカという、他民族国家。メキシコ移民だらけの小さな町では、英語の通じない人が多く、彼らの母国語であるスペイン語が飛び交っていた。

 サンディエゴに着いた頃には、あたりもすっかり日が暮れてしまっていた。同じ自転車クラブの副代表であり、サンディエゴ在住の梶さんというお宅にお世話になる予定だったのだが、家が見つからず2時間も迷ってようやく到着。ドアのベルを鳴らすと、食事中だったにもかかわらず「よく来たね。待ってたよ。早くご飯を食べなさい」と梶さんと奥さんのホリー、そして二人の姉妹が僕を笑顔で迎えてくれた。この梶さん、実は1982年から6年間もかけて69ヵ国9万キロメートルを走破し、世界を一周してきた強者なのだ。

 梶さんの奥さんであるホリーは、アメリカ人。梶さんが世界一周の旅の途中だったイスラエルで出会い、二人は恋に落ちた。彼女は教師だったので夏休みや冬休みを利用して、世界各地を走る梶さんに飛行機に乗って会いに行ったという。自分も、自転車を持って。

 その後、梶さんはアフリカでマラリアと肝炎を併発し、その時もホリーは現地に駆けつけて看病をしたが、医師には「このまま旅を続ければ命の保証はない」と言われたため、二人はアメリカに帰国して永遠の愛を誓ったという。このエピソードが、梶さんが「伝説のサイクリスト」と呼ばれる所以なのだ。

 「お父さんというものは、誰もが世界中を自転車で旅してきた人たちなんだと思ってた」。長女のセレーナがみんなの笑いを誘ったあと、僕が案内された部屋には、フカフカのベッドと、その横には僕の自宅から送られてきたダンボールが置いてあった。中を開けてみると、頼んでおいたスペアパーツと、母からの一通の手紙が入っていた。「貴重な経験を楽しんで。無事帰ってきて下さい」。この最後の一行を読み終える前から、僕は溢れ出る涙を止めることができなかった。

 梶さんのお宅では、一緒にご飯を作り、娘さんの送り迎えをし、夜には旅の武勇伝を話してもらったりと、一週間まるで本当の家族のように接していただいた。南米に向けて出発の朝。「また連絡ちょうだいね。」とスーツをビシッと着こなした梶さんが会社へ向かう。僕は空港まで行く電車に乗るため、ホリーに駅まで送ってもらうことになった。最初は、その後予定があるので最後まで見送れないと言っていたホリー。でも結局、電車の到着まで一緒にいてくれた。そして車両に乗り込もうとする僕を抱きしめ、「身体にだけは気をつけるのよ」と言ってやさしく頬にキスをしてくれた。

 力強く扉が閉まった列車はゆっくりと駅のホームを離れていく。次第に小さくなっていくホリーは、いつまでも大きく手を振り続けていてくれた。

 「Good-bye Holly!」
 また会う日まで。

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Photos
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アリゾナ州の乾燥した荒野の中を続く一本の道
絶対に道に迷わないであろうモハベ砂漠の一本道。




切り立った岩のダウンヒルロード
遠くの丘からヒヨッコリと顔を出してきたお月様。これぞまさに「月の砂漠」!?




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曲芸氏のような姿をしたジョシュアツリー。




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サボテンの群集の前で、思わずペダルを止める。




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たくさんの「伝説」を語ってくれた梶さんファミリー。